ひとりごと


2002年6月10日

いずれは我が身

 闘病生活も約2年となる。しかし白血病との闘いは約20年となる。詳しく説明すると 管理人が高校生の時、同級生が白血病を患った、親友とまではいかないまでも通学時、バスのなかで よくしゃべる仲間のひとりであった。クラスが違うので内情はすぐには伝わってこなかったが 彼は1カ月ほど顔を見ていなかったので、どうしたんだろう。学校やめちゃったのかなと思っていた。 しかし事実は、その後明らかになる。当時は骨髄バンクはおろか献血制度もままならない現状であって、 学校で彼の担任教師が彼を助けるため。B型の新鮮な血液がほしいので献血に協力してほしいと、 走りまわっていた。ふと何気なく彼と同じクラスの子に、彼どうしてるの、何で先生血を集めているのと 訪ねると、彼、白血病で無菌カーテンのなかに入っているらしい。結構ヤバイ状態なのでは、とのこと。 彼と同じクラスの子に頼んで、見舞うチャンスがあれば是非ともお見舞いにいきたいのでオレも いっしょにつれてってと頼んだ。数ヶ月後チャンスが来た。容体が少し安定したから見舞いにいってもよいとのこと。 食事の持ち込みが制限されているとのことで、4人くらいのメンバーでマンガ数冊と○○本を買って差し入れにいった。 彼と約3ヶ月ぶりくらいにあったが容貌があまりにも変貌していてすぐには解らなかった。彼は、もともと男からみても いい男で今風にたとえるとスマップのメンバーであってもおかしくないくらいいい男、たぶん学校1のいい男といっても いいすぎではなかったであろう。その男が顔は真っ白、髪の毛は無い、声も張りがない。激痩せしてしまっていたのであった。 管理人は涙をこらえるのにつらかった。というのは泣くことが出来ない状況であったからだ。今は子供にも白血病であることを 告知しているようだか、当時の白血病のイメージとしては、あの衝撃の赤いシリーズでのイメージが強く白血病イコール即死の 概念があったからかどうかは解らないが告知はしていない様子であったため重病であることを悟られないようにするため 変にくだらない話をしてごまかしたことを記憶している。その後容体が悪くなり会うたびにやつれていく姿を見るのが 耐え難くいつしか彼とも縁が切れてしまった。

 そのようなこともあったせいで、大学受験をする際に化学の分野に進学する予定であったが、出来たら白血病の新薬でも開発 できればいいなと思い薬学部に進路変更をした。進学校でない母校では薬学部志望はかなり無謀な計画ではあったが なんとか入って大学院にも進むことができた。彼の影響がなければ現在薬剤師にはなっていない。仕事をはじめて 中堅職員になり、志望動機もわすれそうになったときに自分が白血病になった。今考えてみると自分が白血病になったのも運命かも しれない、もし神というものが存在しこの世で何らかの使命をはたせということで命というものを受けたとしたら 管理人本人に与えられた使命というものは白血病と闘えということであろう。でなければ、2万5千人に1人発病する白血病患者が お互い健常人であったときに友達である確率はないに等しいからである。

 同窓会の名簿によると彼は社会復帰して定職についているらしい。いつしか、病院の外来で会うこともあるのかもしれない。 当時、見舞いにいかなくなってしまったことを詫びたいし、病友としての話もしたい。僕の方は現在1ヶ月に1回の通院だが 、彼のほうは、何ヶ月もしくは一年に一回程度の通院であると想像するが再会を是非したいと思っている。


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