入院 1週目   1日目〜  7日


2000年6月28日入院 1日目

9:30 勤め先の病院より息子より気分が悪いので迎えにきてほしいとの電話がある。
9:45 息子を迎えに行き、そのまま近くの総合病院へ 熱38.9度
11:50 研修医の診断で呼吸器科にかかる。
12:10 レントゲン室へ
12:20 呼吸器科医師の指示によりダラシンを点滴
12:30 呼吸器科医師より白血球が通常の1/5であるとの診断を受け、血液像の精密検査を行う。→ 血液内科を院内紹介
15:30 入院して精密検査をする旨指示を受ける。
16:00 無菌病棟へ入院、面会謝絶
17:00 昇任試験の資料を病室にもってくるように依頼(Yasuより)
17:30 主治医より血液疾患の人が血縁にいないか、明日も骨髄検査(マルク)をして来週あたり話が出来ると思うとのこと。
18:00 のどが痛くてごはんが食べにくいらしい。
明日1番で尿の検査がある、本屋でアスキーを買って差し入れる予定。

スーツのままの状態で入院
マルク
白血球2000

2000年6月29日入院 2日目

朝一番 アスキーとスリッパを差し入れる。
9:45 ちょっとした飲み物、ひげ剃りなど日用品を差し入れ。
     残業の手続きをしないといけないと職場より電話が入る。
     病欠なら診断書がいるとのこと。
昼頃   骨髄3本抜いた(尻より)
     病棟担当看護師より、いわゆる生禁の指示を受ける。
     熱39.7度、でも前よりは少し気分がいいとのこと。
中心静脈栄養の処置をした。
夕方   鼻血が出た。今まで出ていなかった内出血がある。
     月末なので超過勤務の処理をしなくてはならないと電話あり。
     Yasu姉より、臍帯血について等、電話あった。
     Yasu娘の保育園に今日、お相撲さんがきて楽しかったということを息子に伝えた。

白血球1000 血小板 10万 CV入れる→レントゲン 不眠 

2000年6月30日入院 3日目

朝    中心静脈栄養の針先が一回転しているようなので、処置のやりなおし。
昼    主治医より告知、急性骨髄性白血病(M5)である。
     中間くらいの治りやすさ、昔(30年くらい前)は白血病=死であるが
     化学療法が比較的ききやすい癌であると説明を受けた。
     兄弟間でぴったり型があえば生存3〜5年
     今日から一週間イダルビシン、キロサイド(寛解導入)をやり
     その後場合を見て、地固めをする予定
夕    息子の車の車検証がきたので貼り付けにいった。
吐き気止めの点滴いれる。

CV入れなおす→レントゲン 告知→M5であるとのこと、M5の場合5年生存50パーセント、JALSGの研究同意書にサイン 、本日より化学療法JALSGの治療コースに準ずるを施行 *この時点ではM5aとは判定されていない。 

化学療法1日目

2000年7月1日入院 4日目
朝    勤め先の病院の上司に白血病の疑いがあると電話連絡。
昼    息子が不自由さを嘆き涙をこぼす。
     「トマトジュースが飲みたい。」(Yasu)

化学療法2日目 食欲↓ 朝 100% 昼 50% 夕 20% 尿7回 便1回

2000年7月2日入院 5日目
Yasu娘、水遊びをしていたとのこと。
夕    蓄尿、採血、抗生剤。
     隣の男の子より、外泊より戻ったのでとのことでせんべいを頂く。
     (後に他界されました、ご冥福をお祈りします。)

化学療法3日目 食欲さらに↓ 朝 20% 昼 0% 夕 0% 尿2800ml


2000年7月3日入院 6日目
     生命保険などの手続き。

化学療法4日目 食欲さらに↓ 朝 0% 昼 0% 夕 0% 尿1650ml 体重89キロ

2000年7月4日入院 7日目

息子が元気になったらコンピュータの部品を買いに行きたいので、台湾に行きたいと言った。
     病棟にかざる七夕の願い事に「家族が一緒に仲良く暮らせますように」と書いた。

化学療法5日目 朝 0% 昼 0% 夕 20% 尿2850ml 、その他:FAB確定M5aと判定


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