入院 5週目  29日目〜 35日


    2000年7月26日入院 29日目

職場から昇任試験はどうするか電話がかかり、できら受けたい旨伝えた。

15:00 昨日の告知の問題について、本人がどんなことでも隠さず話してほしいという意志が強い。本人の希望を尊重したい。
17:00 主治医より、悪い細胞は入院時93パーセントだったが4割に減っているが、寛解に入らなかった。なんとかしても5パーセントにしなくてはいけない。
明日、カンファランスで今後の検討をしますが、おそらくは、化学治療単独では治癒は望めない。すぐ骨髄バンクに登録する方向になると思う。
→すぐ次の寛解導入やるとのこと、外泊中止。

食事、朝100% 昼100% 夕 70%、ラジオ体操をやる元気はあった。

※初めはだいたいの人は寛解に入るという説明であったが詐偽にあったような気分だった。
寛解に全く入らない人もいるという説明も必要ではなかったかなと思う。

2000年7月27日入院 30日目

食事、朝100% 昼100% 夕100% 、娘と1ヶ月ぶりの再会、10分ほど会う、よそよそしい。ひざの上で泣かないで本を読んでもらっていた。Yasuの顔を見て娘は"アンパンマンだ"という 確かに毛がないしそう見えるかもしれないなあ。悲しい現実。いつあえるか、会えないかもということで娘と一緒に写真をとった。
※現実自分は死に一歩一歩確実に近づいているので、娘とのツーショットの写真を残さないとと思った。

2000年7月28日入院 31日目

10:00 骨髄バンクを支援する会に「白血病といわれたら」定価300円(当時)を注文。さっそく送りますとのこと。
16:00 骨髄バンク登録のため 親族すべてのHLA検査にて不適合でないと登録できないので調べますと説明をうけた。

食事、朝 100% 昼100% 夕 80% 尿1150ml 、今日から化学療法【寛解導入2回目開始】。抗ガン剤入れ始めると心臓がドキドキして辛かった。

2000年7月29日入院 32日目

夜中、隣の子が泣きやまず。一睡もできず。
そのかわり、昼間はほとんど寝ていた。
食事 朝100% 昼 25% 夕 0% 尿2150ml

2000年7月30日入院 33日目

食事 朝 0% 昼 10% 夕 0% 尿2550ml、吐き気強い、不眠、発熱37.3℃。 頼んでいた" 白血病といわれたら "が届いた。
10:00 主治医から家族へ
このまま、もし寛解にならない場合は、5年生存率は10パーセントもありません。

※主治医の説明もさることながら、白血病といわれたらの内容が強烈だった。特に生存のグラフが...。
寛解に入ってなかったら。生存ってのはゼロと誤差の範囲だね。
でも先生、顔、可愛いのにキツイ言葉バンバン言えるね感心しゃちゃうねーーー。

2000年7月31日入院 34日目

食事 朝 0% 昼 0% 夕 0%、尿2150ml。
吐き気強い

※この時点での治療はJALSGに準拠していますので、薬についてはそちらを参考に....。
ところで本当に、この通称オレンジジュースの薬は、きつい。

2000年8月1日入院 35日目

本人はこんな苦しい治療を続けるのなら死んだ方がましと言う。
食事 朝 0% 昼 0% 夕 0% 尿2300ml。体重82.90s、 痒み出現。
※本当に死んだ方がマシと思った。


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