入院 6週目  36日目〜 42日


    2000年8月2日入院 36日目

食事、朝 40% 昼 0% 夕 0%、右手、脇の皮膚が荒れている。出血斑出現。尿2400ml

2000年8月3日入院 37日目

食事、朝 60% 昼 10% 夕 10%、尿1550ml 皮膚あれ→軟膏処方あり。
野菜抜きのモスバーガーがおいしかった。
※病人の食欲のも妄想というのは、すごいものがある。よく病院に対してクオリティオブライフというのがあるが、衣食住というのが人間生きていくために必須であると思うのでもう少し改善の余地というものがあると考えるが。

2000年8月4日入院 38日目

食事、朝 60% 昼 10% 夕 0%、尿2850ml、MAP2単位輸血【AB型】 、腰骨痛、かゆみ、皮膚むける、黄疸。その他友人がバンク登録を呼びかけてくれた。感謝。
孫のドラマ放映、いろいろと考える。
※ドラマというえのは病人に敏感なものである、もし悪い結果なら落ち込むだろうし.......。
確か記憶では病棟の消灯後にやってたかと思う。ただ、いつものドラマよりは、お涙ちょうだいといったものではない。と思った。

2000年8月5日入院 39日目

食事 朝 60% 昼 50% 夕 20% 尿2400ml、精神状態不安定。
妻に自分が死んだら再婚するなり勝手にしてくれと伝えた。

※現実を見据えて、伝えるべきことは声に出して言っておこうと...。
この頃、幾度となく妻に手紙を書いた記憶がある。内容は今現在において何故か覚えていない。
支離滅裂な文であったことは、想像できる。

2000年8月6日入院 40日目

食事 朝 70% 昼 20% 夕 20% 尿1350ml、下痢、トイレ5回→尻が痛い。 相も変わらず精神状態不安定。
精神状態不安定のケアというものが、もう少し一般の人にも理解してほしい。と思う。
Yasuは連続入院460日以上なのだが、この頃1ヶ月以上の入院に対して、自分が社会的に抹殺されていく...という、無力感があった。

2000年8月7日入院 41日目

食事 朝 100% 昼 100% 夕 60%、尿1450ml。白血球1000以下。精神状態不安定。 Yasu父親とマスクをしないで病室に入ってきたので口論となる。
娘が「とうやん、びょういん」という、父が病院に入院していることは理解しているようだ。
※なかなか病気に対して理解していただくのは、難しい。

2000年8月8日入院 42日目

食事 朝 90% 昼 90% 夕 90% 尿2400ml。Hb 8.2、両親とHLA合わず、本日、骨髄バンクへ正式登録。 主治医、速達で送りましたとのこと。
本人曰く、「移植しても、すぐ死ぬかもしれんし、かえってしないほうが結果長生きする可能性もあるわな」と話す。
遺言がどうのこうのとか死ぬ話ばかりしている。
※骨髄移植が現実となった今、100日生存約70パーセントというのが気になる。約70パーセントをどうとらえるかが問題である。100日死亡約30パーセントととらえるか。
また仮に健康人100年生存0パーセントと置き換えてみると、どうゆう結論にたどり着くか。


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